≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

「カンデアルの奇跡」~名場面集

「カンデアルの奇跡」には、忘れ難いシーンがたくさんありました。観にいらした方、そして私たち自身の思い出のために、インターネット上でみつけた動画をここで紹介します。


まずは、みた人からの評価がたいへん高かった演奏シーンを3つ。
一つ目が、カエターノ・ヴェローゾ。このシーンから映画がぐっと面白くなりました! 波の音、ベボの幸せそうなとびきりの笑顔、そしてカエターノ・ヴェローゾの美しすぎる声。




こちらは前の記事でも紹介したマリーザ・モンチ、ベボ・バルデス、カルリーニョス・ブラウンの共演。表情の美しさが、音楽の美しさを際立たせています。大好き。




そして、ヒップ・ホップ・ルーツとベボの共演。リズムすごい。




私にとっての一番の収穫は、カルリーニョス・ブラウンでした! 情熱、寛大さ、他者へのリスペクトにあふれていました。語る言葉のひとつ一つにも情熱と優しさがあふれていてメロメロになりました! 声と話のリズムというか抑揚もツボでした。彼のような人を育んだバイーアとそこに住む人々、そして彼に音楽を学んだ子どもたちや若者が作り上げるコミュニティを一度みてみたい!!!




ブラジルやキューバに渡って来た黒人たちが共有する信仰。このことについてもっと勉強したいなあー、と思います!

スポンサーサイト

| 映画紹介 | 17:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『セルヒオの手記』 字幕監修の寺島さん来札!

『セルヒオの手記』を監修された寺島佐知子さんが、9月6日&7日のCUBA映画祭FINALに来てくださいます! 寺島さんは、監督のミゲル・コユーラ、原作者のデスノエス両氏と親交があり、作品そのものについて、また作品に描かれているキューバ社会について本当に深くご存知です。
6日&7日の両日とも、『セルヒオの手記』の上映後には、同作について寺島さんへご質問していただけるようにします。ぜひこの機会を逃さないように、会場に足をお運びください。

その寺島さんですが、ブログ「MARYSOLのキューバ映画修行」に、『低開発の記憶』と『セルヒオの手記』の同時上映について、以下のような文章を書いて下さっています。ぜひご覧ください。
また、「MARYSOLのキューバ映画修行」は、様々なキューバ映画を紹介・解説しているブログです。読み応えがあるので、ぜひ読んでみてください!


■「MARYSOLのキューバ映画修行」より

恒例の「札幌キューバ映画祭」 は残念ながら今年で最後。でも締めくくりにふさわしく、20世紀キューバ映画の最重要作品『低開発の記憶-メモリアス-』 と、その補完関係にありつつ対極をなす21世紀の自主製作映画『セルヒオの手記-ユートピアからの亡命』 が併映され、まさにキューバ革命のターニングポイントを象徴する2作品の併映が実現しました! しかも後者は日本初公開!!

と喜んでいたら、昨年のバルセロナの「第1回キューバ自主映画祭」でもこの2作品が併映され、その快挙に対し主催者の英断が讃えられていました。今回はその記事(by キューバ出身の大学教授)を参考に〈両作品を連続して見られるメリット〉を3つ挙げます。

1.時代の変化と主人公の立場・老いによる内面の変化を体感できる。
両作品とも同じ原作者による内省的小説をベースにしているため、両主人公の性格や考え方には共通性がある。一方、両作品の間に流れる40年という歳月(歴史)は、主人公に立場の転換(知識人→移民)や環境の変化(後進国→先進国)をもたらす。

2.キューバ映画の潮流の変化が見てとれる。
革命キューバ映画第一世代の頂点、『低開発の記憶』と、それから30年後の90年代(危機の時代)に思春期にあった世代の『セルヒオの手記』。後者は「革命の外」の映画と見なしても過言ではない。
尚、参照記事によれば、両者の間には少なくとも3世代が存在。スタイルや意図に根本的な違いが反映されている。

3.60年代~70年代というロマンティックな時代(少なくともイメージ的には)と混沌とした近年(90年代~2000年代)における意識の変化
 『低開発の記憶』の主人公は、革命に対する知識人の態度(意識革命)・アイデンティティの問題に直面する。だが、90年代以降、アイデンティティの定義は当時と逆行している。
現在のキューバの自主映画製作者たちの輪郭はこの点に現れる。彼らの批評性は前の世代よりもさらに鋭い。

Marysolより
両作品を連続して鑑賞することにより、キューバ革命の内側のみならず、そのなかで翻弄された独りの知識人の内面にまで触れることができます。映画を通してキューバ革命を追体験してみてください。

また、両作品とも〈答えをもらう映画〉ではなく〈共に答えを模索するための映画〉です。キューバの体験(現代史)を人類の貴重な体験として受けとめ、革命(=人間)はどこで間違えるのか、考えてみてはどうでしょう?

あるいは革命は失敗だったのか、そうではないのか。
なぜそう考えるのか。
ご意見をお寄せください。
私も考え中・・・

| 映画紹介 | 23:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『カンデアルの奇跡』と『チコとリタ』もぜひセットでみて!

2本セットでみていただきたいのは、『低開発の記憶』と『セルヒオの手記』だけではありません。『カンデアルの奇跡』と『チコとリタ』も深いつながりのある作品なのです。

ドキュメンタリー『カンデアルの奇跡』で、バイーアを訪ねる85歳の老ピアニスト、ベボ・バルデスは、実はアニメーション『チコとリタ』のチコのモデルです。チコもベボと同様にピアニストです。

『チコとリタ』で描かれる年老いたチコの背中が、バイーアの街を歩くベボ・バルデスとまったく同じです。それに気がつくととてもうれしくなります。また、『カンデアル~』では、ベボ・バルデスが、チャノ・ポソの人柄や音楽について語るシーンがあるのですが、その言葉を髣髴とさせるような、チコとチャノ・ポソとの出会いのシーンが『チコとリタ』内には描かれています。両作品を一緒にみると、すごく貴重なものを見つけ出したような気分になれるのです。

この2作品のつながりの最も魅力的な所はピアノです。ベボ・バルデスは『カンデアル~』の中で、演奏シーンを何度も披露しますが、実は『チコとリタ』のピアノもベボ・バルデスが担当しています。

どうして両作品にこのようなつながりがあるのかというと、スペイン人監督のフェルナンド・トルエバが、キューバ音楽とベボ・バルデスに惚れ込んで、これらの作品を撮影したからです。もちろん、どちらの作品も、1作品のみで十分に楽しめますが、両作を一度にみれる機会はほとんどないので、お時間がとれる方はぜひ!!

| 映画紹介 | 23:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『セルヒオの手記』と『低開発の記憶』はぜひセットでみて!

日本初上映作品『セルヒオの手記』のパンフレットに、日本語字幕監修者・寺島佐知子さんが書かれた文章には、以下のような言葉があります。

―『セルヒオの手記』は「キューバ革命」が世界にふりまいた期待と懸念の50年間を赤裸々に映し出す。―

『セルヒオの手記』という作品を一言で表現するとしたら、これ以上に的確な言葉はないのではないかと思います。

個人的なことですが、はじめてのキューバ映画祭を計画する少し前に、『モーターサイクルダイアリーズ』をみる機会がありました。純粋で理想に燃えるチェ・ゲバラの青春時代を描いた映画に、チェやキューバ革命への好意的な関心が大いに高まりました。(ガエル・ガルシア・ベルナルもカッコよかったし!)

「キューバには日本にはない魅力がいっぱい!」
そういう気持ちが、CUBA映画祭に対するモチベーションを高めたと思っています。
いまもその気持ちに変わりはないのですが、映画をいくつもみる度に、キューバへの関心の持ち方が変わってきました。

キューバに限らず、どの社会にも言えることだと思いますが、光の部分が必ずある。そしてその光こそがまさに影であるということもあると思います。私たちが上映してきたキューバ映画の多くには、「理想」や「正義」への希望と同時に、その危うさと矛盾が描かれています。それは同時に映画をみる人たちに「自由」とは何かを問いかけます。

『セルヒオの手記』の主人公セルヒオは、キューバ革命とアメリカ社会双方の「理想」「正義」「自由」の危うさを批判し、どちらの社会からも疎外されています。でも同時に「理想」「正義」「自由」への儚い期待を捨てきれずにいます。

それは『低開発の記憶』にも通じているのではないかと私は思います。今回、両作品をあわせてみていただくことで、どちらの作品にも理解が深まると思います。

また両作品は、キューバ社会やキューバ人への多面的な理解へとつながることはもちろんですが、私たち自身が自分たちが生きる社会とどう折り合いをつけるのか、どんな社会を願うのかを問う機会にもなると思います。

| 映画紹介 | 19:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

映画『セルヒオの手記』から見える革命の理想と矛盾

「キューバ映画祭ファイナル」の開催まで、あと1週間ほどとなりました。ブログの更新がなかなかできていませんでしたが、これから開催までの間に、映画をみにいらっしゃる方々に役立つ情報をどんどんご紹介したいと思っています。

今回の上映作品群の中で、一番の目玉といっていいのは、やはり日本初公開となる『セルヒオの手記~ユートピアからの亡命』でしょう。キューバに関心を寄せる人たちには、ぜひみていただきたい作品です。

実行委では今、みなさんに『セルヒオの手記』をより深くご理解いただくためのパンフレットを、日本語字幕監修者の寺島佐知子さんに執筆&翻訳いただいて作成中なのですが、そのパンフレットを読むと、『セルヒオの手記』の“深さ”や、キューバ革命の様々な姿(=“複雑さ”)を感じとることができます。そのパンフレットから、原作者のエドムンド・デスノエスの言葉を一部抜粋してご紹介します。(写真は、原作者デスノエス氏です。)

デスノエス写真(小)



**********************************
 『セルヒオの手記』の原作では、フィデル・カストロに対して容赦しない。フィデルは、杖のグリップの銀の犬フィドルに姿を変え、ニューヨークの街を歩き回る私を支える。そして、私は彼と空想上の会話を交わす。私は彼を非難する一方で、彼との経験に支えられている。小説は次の告発で終わる。「革命の失敗は、若者に未来を提供しておいて、後にそれを否定したことにある。我々は革命を享受した。しかし現代の若者たちは革命の害を被っている」。
 革命は、清涼飲料から階級に至るまで、あらゆる面で多様性を排除した。その代わりにグロテスクで非能率的な堅物が出現した。平等主義の押しつけは、キューバから存在の多様性を根こそぎにしようとしている。人は誰も捨て置かれてはならないし、基本的必需品で守られるべきだ。しかし、子どもたちに対し、「チェのようになろう」と押しつけることは、忌まわしいことだ。どのような意見も、絶対的真実として強制されてはならない。
**********************************

| 映画紹介 | 21:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。