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『セルヒオの手記』 字幕監修の寺島さん来札!

『セルヒオの手記』を監修された寺島佐知子さんが、9月6日&7日のCUBA映画祭FINALに来てくださいます! 寺島さんは、監督のミゲル・コユーラ、原作者のデスノエス両氏と親交があり、作品そのものについて、また作品に描かれているキューバ社会について本当に深くご存知です。
6日&7日の両日とも、『セルヒオの手記』の上映後には、同作について寺島さんへご質問していただけるようにします。ぜひこの機会を逃さないように、会場に足をお運びください。

その寺島さんですが、ブログ「MARYSOLのキューバ映画修行」に、『低開発の記憶』と『セルヒオの手記』の同時上映について、以下のような文章を書いて下さっています。ぜひご覧ください。
また、「MARYSOLのキューバ映画修行」は、様々なキューバ映画を紹介・解説しているブログです。読み応えがあるので、ぜひ読んでみてください!


■「MARYSOLのキューバ映画修行」より

恒例の「札幌キューバ映画祭」 は残念ながら今年で最後。でも締めくくりにふさわしく、20世紀キューバ映画の最重要作品『低開発の記憶-メモリアス-』 と、その補完関係にありつつ対極をなす21世紀の自主製作映画『セルヒオの手記-ユートピアからの亡命』 が併映され、まさにキューバ革命のターニングポイントを象徴する2作品の併映が実現しました! しかも後者は日本初公開!!

と喜んでいたら、昨年のバルセロナの「第1回キューバ自主映画祭」でもこの2作品が併映され、その快挙に対し主催者の英断が讃えられていました。今回はその記事(by キューバ出身の大学教授)を参考に〈両作品を連続して見られるメリット〉を3つ挙げます。

1.時代の変化と主人公の立場・老いによる内面の変化を体感できる。
両作品とも同じ原作者による内省的小説をベースにしているため、両主人公の性格や考え方には共通性がある。一方、両作品の間に流れる40年という歳月(歴史)は、主人公に立場の転換(知識人→移民)や環境の変化(後進国→先進国)をもたらす。

2.キューバ映画の潮流の変化が見てとれる。
革命キューバ映画第一世代の頂点、『低開発の記憶』と、それから30年後の90年代(危機の時代)に思春期にあった世代の『セルヒオの手記』。後者は「革命の外」の映画と見なしても過言ではない。
尚、参照記事によれば、両者の間には少なくとも3世代が存在。スタイルや意図に根本的な違いが反映されている。

3.60年代~70年代というロマンティックな時代(少なくともイメージ的には)と混沌とした近年(90年代~2000年代)における意識の変化
 『低開発の記憶』の主人公は、革命に対する知識人の態度(意識革命)・アイデンティティの問題に直面する。だが、90年代以降、アイデンティティの定義は当時と逆行している。
現在のキューバの自主映画製作者たちの輪郭はこの点に現れる。彼らの批評性は前の世代よりもさらに鋭い。

Marysolより
両作品を連続して鑑賞することにより、キューバ革命の内側のみならず、そのなかで翻弄された独りの知識人の内面にまで触れることができます。映画を通してキューバ革命を追体験してみてください。

また、両作品とも〈答えをもらう映画〉ではなく〈共に答えを模索するための映画〉です。キューバの体験(現代史)を人類の貴重な体験として受けとめ、革命(=人間)はどこで間違えるのか、考えてみてはどうでしょう?

あるいは革命は失敗だったのか、そうではないのか。
なぜそう考えるのか。
ご意見をお寄せください。
私も考え中・・・
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